【ito therapy 】気づきの便り|すべての答えは『私』の中に〈5〉

〈itoの森〉から~日々の便り~

はじめに

この記事では、「ito therapy session」 の一環である【森リトリート】や
【タロットで自己対話】などのワークを重ねる中で、
日々「私らしさ」を探求する私自身が、日頃心に感じたことを綴っています。

みなさまの人生にとって、
ほんの少しでも何かのヒントになるフレーズが見つかりましたら幸いです。

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「自己対話の人」から「つなぐ人」へ

前の記事でお伝えしましたが、

ある朝、私は「自分をラベリングする」というキーワードを受け取りました。
そして、自分をラベリングするとしたら、

『自己対話の人』

という言葉が思い浮かびました。

それから数日後、『自己対話の人』というラベルは、
「核」の部分であって、大きくは、

『つなぐ人』かもしれない。

そんなことを思い始めました。


つなぐ、という視点

自己対話は、
「私」と「私」をつないでいる。

タロットリーディングは、
人とカードをつないでいる。

森リトリートは、
人と自然をつないでいる。

ガイド瞑想は、
現実とイメージの世界をつないでいる。

これらに共通するのが、「自己対話」という体験です。

私は、「自己対話」を通して、「つなぐ」。

さらに、

もう一歩だけ内側を見ていくと、

私は、

「見えないもの」と「現実」をつないでいるのかもしれない、

そんな感覚も浮かんできた。

これまで制作してきたワークツールを見渡してみると、

感覚やイメージ、
言葉になる前の内側の世界を、

ノートや言葉、体験という形にしていくものばかり。

目的は「自己対話」であり、結果は「つなぐ」こと。

あるいは、目的が「つなぐ」ことで、結果が「自己対話」なのかも。

卵が先か、鶏が先か、という言葉のように、
私のライフワークも「自己対話」と「つなぐ」が循環している。


息をするように自己対話をする

私にとっての「自己対話」は、
やりたいからやっているというよりは、
これからやろうとして始めるというよりは、
「いつの間にかしている」という感じ。

普段から、”自己対話脳” になっているため、
ある日ふと、降りてくるものに対して抵抗感がない。

「お、きたね」

と、まるで親しい友人がふらっと立ち寄ったような感覚。

そんな、さりげない「気づき」を、
こうしてブログで書いたり、
その気づきをもとにスプレッドを作成したりして、

「意味のある存在にしていく」ことは、

今後の自己対話にも良い影響を与える。

どういうことかというと、

「気づき」は普段聴こえにくい自分の「本当の声」だから、

「聴こえたよ」というアピールが必要。

そして、「聴こえたよ」としっかり伝えることで、
「本当の声」は、また声をかけてくれるようになる。

意味があったんだ、伝えて良かった、

そう思ってもらうことができる。


いちばん手軽な【森リトリート】という体験

自己対話を「やろう」と思って「やりに行く」なら、
森へ行くのが一番です。

普段から “自己対話脳” ではない人が、
“自己対話脳” に切り替わるには、「非日常」の環境が必要だからです。

特に、都会で暮らし、自然と触れる機会が少ない人にとって、
森は、まさに「非日常」。

森といっても、山奥の深い森へ入って行かなくても大丈夫。

大きな公園の敷地内にある木々が生い茂る場所や、
神社の裏にある林でも、
【森リトリート】体験は充分できます。

忙しい日々の中で、ほんの少しでも自分だけの自由時間を
森の中で過ごしてみてはいかがでしょうか。


おわりに

あなたは、自分をラベリングしてみたことはあるでしょうか。

あの日、なぜ『自分をラベリングする』という言葉が降りてきたのか、
その理由は今のところわかりません。

でも、「気づき」には理由も原因もないのでしょう。

あるいは、
これから何年か先に、この時のことが何かにつながる、
そんな日がくるのかもしれません。

自己対話は、今すぐに自分を変える体験ではありません。
「気づき」は水に落ちた水滴のように、
受け取った後、ゆっくりと人生に波紋を広げていくものです。

そして、その波紋の影響の先で、
再び「あぁ、そうだったのか」という気づきが起こるのです。

ある日の「気づき」が、未来のどこかにつながる布石かもしれない。

そんなことを思いながら、
ふとした「気づき」との出会いを今日も楽しみにしています。


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