はじめに
この記事では、「ito therapy session」 の一環である【森リトリート】や【タロットで自己対話】などのワークを重ねる中で、日々「私らしさ」を探求する私自身が、日頃心に感じたことを綴っています。
みなさまの人生にとって、ほんの少しでも何かのヒントになるフレーズが見つかりましたら幸いです。
🍃「気づきの便り」エピソード:0 はこちら
一瞬煌めいた「転機」のおはなし
運命の人が何人もいるように、人生の転機も、何度もあるものです。
私にとって最大の転機だったのは、恐らく10年ほど前の夜だったと記憶しています。
あの夜の帰り道、ふと、「このままじゃだめだ」という思いが降りてきました。
私は輪廻転生を信じています。
そして、いくつかの本や、どなたかの対談などで、
「どうやらこの世に生きる人たちの中には、魂の使命を果たせないまま神様の元へ戻る人もいるらしい」ということを知っていました。
そんな記憶があったからなのか、
なんとなく、”このままでは来世に「何か」を持ち越してしまう”
あの夜、ふとそんな気がしたのです。
“なんとなく、このままじゃだめな気がする”
私の人生最大の転機は、一瞬の閃きでした。
その時は、だから何をすればいいのかということまでは、考えつきませんでした。
けれど、その日から、私が思い始めたことがあります。
それは、今も変わらず思い続けていることです。
そして、その想いが、私のライフワークである「私らしさの探求」に結びついています。
「人生、楽しんだもん勝ち」
あの夜の、あの瞬間、ふと降りてきた「このままじゃだめた」という感覚。
次に生まれ変わるときには、今世でやり残したことがないようにしておきたい。
そんな想いから、
だったら、今世でやるべきことをやろう。と思い立ちました。
そして、せっかくこの世に生まれたのだから、この人生を楽しみ尽くそう。
あの世に還る日がきたとき、「還るのが名残惜しい」と感じるくらい、楽しい人生にしよう。
そんな想いが芽生えてきました。
あの夜から、こんな風に考えるようになるまで、4~5年はかかっています。
「この世界」は、視点が変われば一変する。
一人一人に、ひとつずつ与えられた「世界」です。
だったら、「人生は楽しんだもん勝ち」でしょう。
神様の元に還るとき、「ああ楽しかった!!」と思える人生にしたら、この世に生まれた意味を果たせる。
そんな気がしていました。
では、そこまで楽しい人生を送るにはどうしたらいいか。
そう考えたとき、
「私らしい人生」を見つけていくことだ、ということに辿り着きました。
それまで、私は恐らく一度も「私らしさ」について考えたことはなかったと思います。
「私」は、「私」。それ以上でも以下でもない。
こんなことを意識することもありませんでした。
そんな折り、もう一つの「転機」が起こります。
人生のキーワードに触れた「転機」のおはなし
実際には、「起きていた転機を思い出した」という方が正しいかもしれません。
ある日、ふと、いつかの記憶を思い出したのです。
とある方に、「今のあなたは、あなたらしくないのかもしれない」と言われたこと。
その時は、「私らしくないってどういうこと?」と思っただけでした。
「私らしいってどういうこと?」ではなく、「私らしくないって、どういうこと?」と。
あの頃の私は、「私らしさ」ということを、まったく分かっていなかったのです。
あの日の、「あなたらしくないのかも」という一言は、明らかに私にとっての「転機」です。
そして、それを思い出したことは、「必要な転機が戻ってきた」ような感覚でした。
「人生を思う存分楽しみ尽くしたい」と思い立ってから、
「私らしい人生を送りたい」という想いが芽生えた私は、
「私らしさ」とは何かということが常に頭のどこかにありました。
そして、それからずっと私が思い続けていることは、
「私にしかできないことをしたい」
「私だからできることをしたい」
こんな想いです。
「私にしかできないこと」「私だからできること」は、つまり「私らしさ」を発揮するということです。
「私」という一人の人間が、この世を遊び尽くすためには、「本当の自分の能力」で人生を謳歌することが必須条件なのです。
人それぞれの「高」のおはなし
「高が知れている」という言葉があります。
「身の程を知る」という言葉があります。
「高が知れている」
何かの能力や価値がはっきりとわかり、それがあまり高くないことを意味する。
つまり、期待以上のことがないというニュアンス。
「身の程を知る」
自分の地位や能力を冷静に理解し、それに基づいて行動すること。
自分の実力や限界を把握し、無理な挑戦を避け、現実的な目標を設定すること。
こうして見ると、どちらもあまりポジティブには響かないような言葉です。
ただ、私は「高を知る」こと、「身の程を知る」ことは、「私らしさ」を探求する上ではとても大事な認識だと考えます。
「高を知る」ということは、「己を知る」ということだからです。
ある日、そんなことがふと降りてきたとき、同時にこんなことも浮かんできました。
「私は自分の半径2m以内の人たちを幸せにしよう」
これは、自分に対して期待以上のことがないということでも、無理な挑戦を避け、現実的な目標を設定しているからでもありません。
私には、それが丁度いいと感じたからです。
世の中には、何百人、何千人もの人々に向けて、情報や思想を発信している人がたくさんいます。
そのような人たちは、それだけのパワーとエネルギーを持ち合わせているのでしょう。
でも、私はそのような類いの人間ではありません。
そして、そのような類いの人間になりたいわけでもありません。
ただ、この世に生まれたからには、「何かしらの役に立ちたい」。
私が「私らしく」、「何かしらの役に立つ」ことをするとしたら、その範囲は「半径2m以内」。
あの日、ふとそんなことを思ったのでした。
合い言葉は、「閃きを行動に」
数年前、「アートワークセラピー」を学びました。
10年前、あの夜に降ってきた「転機」が「目醒め」なら、
この学びは私にとって「生まれ変わる」ような「転機」でした。
まさに、「価値観の総入れ替え」。
精神力を鍛え直すような学びが、「ito therapy session」に結びついたのです。
この「アートワーク」の学びで、講師の先生が繰り返しおっしゃっていた言葉が、
「閃きを行動に」でした。
この言葉の真髄を、私は今も体感し続けています。
イヤーカードの信憑性を伝えたいお話
私は普段、タロットカードを「自己対話」のツールとして「ito therapy session」に用いています。
そして、「ito therapy session」とは別に、タロットを使って行うことがもうひとつあります。
それは、”イヤーカード” です。
イヤーカードは、その人のその年の運勢のようなものを見ることができます。
私がアートワークを学び始めた年、私のイヤーカードは〈8:力〉と〈12:吊された男〉でした。
そして、アートワークを学び終える年は、〈9:隠者〉と〈11:正義〉でした。
このことは、後から気がついたことです。
実にこの通りの年になっていたので、タロットで見るイヤーカードはやはり信頼できる。
自分の実体験もあるので、今でも周囲の人たちに必要があればお伝えしています。
イヤーカードについては、いずれ【タロットで自己対話】の記事に書こうと思っています。
いつのステージでも、「今が一番幸せ」
「私らしさ」を探求し始めてから、私は「今が一番幸せ」だと感じています。
それはきっと、「どんどん自分らしさに還っている」からだと思っています。
【タロットで自己対話】の記事でも、よく「魂」の話を書きますが、
私たちの「魂」は、この世での使命を思い出したくて、日々学びを続けています。
このことを思うと、「なんで覚えたまま降りてこないのかしら」と不思議なのですが、
最初から覚えていたら、学ぶことが必要なくなってしまうのでしょう。
それに、「学ぶからこそ果たせる使命」ということなのかもしれません。
といもかくにも、私はこれからも「私にしかできないこと」「私だからできること」を探求していきたいと思っています。
おわりに
今日は【タロットで自己対話】のカード解説記事を完了した日です。
そして、いろんな良き日が重なった吉日です。
この素晴らしい日に、今回は昔を振り返りつつ、当時の気づきを綴ってみました。
また近いうちに、第3弾も書く予定です。
コメント