『私らしい』生き方=『自由』であること
3年程前から『私らしさ』について探求してきた。
『私らしい』とは何なのか、
そもそも、すでに『私らしく』生きている。
『私らしい』ということを今更問われたとて、今の私がありのままの私。と答えるだけ。
数年前はそんなふうに考えていた。
けれど、結論、そうではなかった。
私らしいと思っていた『私』は、真に『私らしい』生き方、『私らしい』考え方、『私らしい』立ち居振る舞いをしてはいなかった。
そのことに気がついてから、では本当の『私らしさ』ってなんだろう、そんなことを日々思い続けてきた。
心理学的には『私らしさ』は『潜在意識』との関わりが強いかもしれない。
意識下にある、素の自分。
では、素の自分って、なんだろう。
実は、素の自分、真の私らしさというものは、自分で見つけることは難しい。
だってこれが私らしさだもの、そう思っているうちは、尚更。
心理学でいうところの『潜在意識』と関わりが強いというのは、そういうところから。
誤解を恐れずにいうならば、『私らしさ』は『無意識』の中にある。
だからこそ、自分、意識からはなかなか見つけづらい。
『無意識』の中にある『私らしさ』を見つける方法、それは、『無意識』を視覚化すること。
私が真の『私らしさ』を見つけたのは、アートワークの一コマだった。
そのワークは至ってカンタンなもので、けれどとてつもなく大きな気づきを得ることができた。
『私らしさ』は『枠』の外にある
ここでいう『枠』とは、自分自身で構築した『枠』のこと。
人はなぜか、『枠』をつくる生き物で、自分で作ったその『枠』のせいで、日々苦しんだり悲しんだりしている。
その『枠』はその人にとってメリットのようで、実はとてもやっかいなもの。
いわゆる「ねばならない」縛り。
一般社会における善悪の判断とは別の角度、プライベートな世界観での『良い・悪い』基準。
個人レベルのくせに、他者へも大きく影響を及ぼすというもの。
この「ねばならない」の枠の中で、人々は各々の世界を生きている。
であるならば、この『枠』の外に出たら今とはまったく別の世界が広がっている。
世界とは、自分という枠の中から見た景色に過ぎない。
世界を変えたいと思うなら、自分の『枠』の一歩外に出てみるしかない。
そこに『真の私らしさ』があり、『真に私らしい』自分として生きている「私」が生きる世界こそ、本当に生きるべき世界なのだろう。
なぜ人は『私らしさ』を恐れるのか
自分で作った『枠』は今に始まったことではない。
人は幼い頃からコツコツと自分に合った『枠』を作り始め、それが価値観となり、自分を縛る鎖となる。
そうして作り上げてきた屈強な『枠』は安心感の塊。
その塊に重くのしかかられているとも気づかずに、人はその中で平静を保ちながら生きている。
その『枠』の中にいるのが『本当の自分』だといわんばかりに。
『私らしさ』とは何か。
その問いにどれだけの人が正確に答えることができるだろうか。
どれだけの人が、本当の自分と向き合う勇気をもっているだろうか。
本当の自分をどれだけの人が受け入れ、受け止め、受容することができるだろうか。
恐らく多くの人々が『私らしさ』をどこかに置き去りにしているのではないか。
本当はすぐ近くにいるのに、見て見ぬ振りをしてきたのではないか。
『私らしさ』に気づかないふりをして、『枠』こそが「私らしさ」だと思い込んで生きている人たち。
昔の私がそうだった。
そんな人たちを見るたびに、もったいないと思う。
本当はそんなことで悲しむ必要はないのに、
本当はそんなことで怒る必要はないのに、
本当はそんなことに気を揉むこともないはずなのに、、、
『私らしさ』を否定して、『枠』として生きている人たち。
そこから脱するきっかけがある方が、多くは幸せに繋がると私は信じている。
『そのままでいいよ』という言葉に抵抗があるのはなぜなのか
『私らしい』自分として生きているのに、なぜ『そのままでいい』と言われることに抵抗を感じるのか。
つまり、『私らしく』生きていないからなのだろう。
気づかないふりをされている『真の自分』が、『枠』として生きている自分を否定しているのかもしれない。
「そのままでいい」「生きているだけでいい」そんな一見幸せな言葉をかけてもらえているというのに、「そんなはずはない」「自分はこんなものじゃない」「まだまだ伸びる」「まだまだ磨ける」なんて思ったりする。
想像するに、「意識」としては「もっと伸びしろがある」という意味で、今の「そのまま」の自分を受け入れられないのかもしれない。
けれどその実、『私らしく』生きていないことに対して「無意識に」拒否感が生まれているのだ。
『私らしくない』自分を「そのままでいい」なんて言われても、しっくりこないに決まっている。
『私らしくない』自分をいくら肯定されたところで、本人は「こんなんじゃない」としか思えないのは当然だろう。
それは「今」の自分が「自分が目指す能力」に達していないからとか、「自分が目指す美しさ」とはかけ離れているからとか、「自分が目指す職業に就いていないから」とか、そんな表向きのことが理由ではない。
単純に、『私らしく』生きることが実現できていないから。
私たちが自分自身に満足できるようになり、誰に何を言われても揺るがなくなるためには、『私らしく』生きる、ただそれだけでいい。
『私らしく』生きるということ
私にとって、『私らしく』生きるということは『自由』に生きるということ。
『自由』とは、もちろん何をやってもいいということではない。
やりたいことを、すきなだけやっていいということでもない。
『私らしい自由』がある人生を生きるということ。
それが、私の『私らしさ』であり、『私らしい私が生きる世界』を実現していくということ。
このブログも、旅も、美容も、スピも、私らしい自由な時間。
これからもたくさんのことを経験し、後悔のない人生を歩いて行く。
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